ダンサブルなあなたへ ~ビジネス記事における世代と上司と部下と~
最近ネットサーフィンしていると、よく『〇〇世代』と世代を分けた読み物が多数散見されます。
代表的な世代分けで言うと
・団塊の世代(1947~49年生まれ)
・新人類(1960年代生まれ)
・バブル世代(1965~69年頃生まれ)
・団塊ジュニア世代(1971~74年生まれ)
・就職氷河期世代(1971~82年頃生まれ)
・ミレニアル世代(1980~90年代前半生まれ)
・ゆとり世代(1987~2004年生まれ)
・Z世代(1995~2010年生まれ)
らしいです。
筆者は1978年生まれなので就職氷河期世代(他の呼び名に『失われた世代』『ロストジェネレーション』など)と呼ばれているようですね。
大半の大手読み物サイトを見ると、『働かないおじさん』とか『少子化、不況の原因』とか『企業のお荷物』とか言われている世代のようですが、統計的にそう他の世代から認識されていると考えられます。
ネット記事を見る人の層にあわせた話だと思うのですが、『今の4~50代は無能』『若い世代の考え方で世の中は動くべきである』という記事が多く、一部それらを批判するように『Z世代はだめだ』と親子程度に離れた世代を喧嘩させるように書いてますね。
まあ、これって『団塊の世代&新人類』が『ゆとり世代』を貶めるための記事を書き続けていた数年前からあった話なんですよ。
加えて企業の記事では、『画一性を持つ無能な上司と多様性を持つ有能な部下』として古い世代の人間性を否定し、『企業に従順に業務する上司と屁理屈こねて業務を辞める部下』として若い世代の志向を否定する、それがトレンドのように思われます。
それってすごく『誰か』の掌で踊ってますよね。とってもダンサブル(踊りやすい)です。
『多い』かもしれないけど、『必ず』って断定してますよね。とても多様性がないですよね。
『従順でない古い世代』や『まじめな若い世代』を全面否定してますよね。
企業をスポーツチームと考えればわかりやすいかもしれませんが、『勝負に勝つ=企業的には利益を上げる』ことを目的にしているのに、わざわざ世代とかポジション同士がもめている事ってメリットがあるのでしょうか。
若い世代の最も嫌うとよく描かれる『無駄』
古い世代が最も嫌うとよく描かれる『無責任』
どちらも『勝負に負ける行動をしている』のに『無駄』とも『無責任』とも言わない書き方はそういう読み物を見るたびに不思議に思います。
例えば弊社で過去に所属していた人物を例にクイズをしましょう。
・出向後、月の出勤日(平均21~23日)の半分も出勤しないし業務もしない(体調不良といっているが病院にもいかない)月が数か月連続
・当時の給与システムが『固定+残業代』で控除するシステムがないため満額給与取得
・当日突然退社(社則では1か月前、現場的にも引継ぎが必要)
→結果として弊社のお客様を一社失う。
さて、こんな社員は
Q①何世代でしょうか
Q②企業にとってマイナスな行動しかしていない社員を途中でやめさせられるでしょうか
Q③お客様を失うという大きな損失を出したことに処分は下せるでしょうか
<シンキングタイム終了>
A①ゆとり世代(当時20代中盤)
A②辞めさせられません(法律的に不可能)
A③処分は下せません(法律的に不可能)
いろんな法律家の偉い先生が労働者の権利を説明していますが、会社に複数の迷惑をかけ、何度注意されても直さず、結果として大きな損失を出すことをしても、企業は個人を守る必要があります。企業の泣き寝入りですね。
この話を聞いて『愉快』or『不快』を抱くのは個人の感想でしょう。別にそれ自体は責められません。ですが、少なくともそんな人しかいなければ企業は立ちゆきませんし、企業もそれは世代によるものではなく個人によるものなので同年代の人を罰しもしません。よく欧米式な働き方の方が無駄がなく稼ぎがいいと言いますが、実力があって周囲が納得する人でなければそんな稼ぎは出来ず、欧米式なら辞めさせるのが容易で明日から仕事がなくなるだけです。
上司と部下は本来敵対するものではなく、一緒に戦うチームメイトのポジション違いのはずなのに、なんでこんなに世の中は揉めさせようとする話題が多いのでしょうか。
なぜ『上司は無能』と考えさせるのでしょうか。『有能な部分がないのに上司になれるのか』と考えさせないのでしょうか。
なぜ『部下は非常識』と考えさせるのでしょうか。『非常識な人が自分と同じ会社に入れるのか』と考えさせないのでしょうか。
さて、『踊る〇〇に見る〇〇、同じ〇〇なら踊らなにゃソンソン♪』と踊るのか、立ち位置をもう一度見るのか。
仕事について考えている人がもしこの文書を見て、当たり前の自分を見られたなら、それはすごくありがたいことです。