求められる人材・求められない人材
『弊社オーリンを例にしてどんな人材が必要で、どんな人材を求めないか、
そんなある種タブーに触れることを書いてみよう。』
そんな書き出しを作ってから、何度かリライトしています。
というのも、弊社だけが特別と言える話って実はほとんどなく、
多分これは一般的な企業としての考え方。
『会社員としての素養』を『持っている人』が必要で
『持っていない人』を求めていないのです。
『会社員』というと必要になる素養、それは極めてシンプルです。
それはただ『お金を稼ぐために働くことができる』というもの。
ここで勘違いしやすいのは、
『20万の稼ぎ』をするために必要な働きは『20万円の働き』
ではないということです。
マルクス主義の考え方ではありますが、『経営者(資本階級)と従業員(労働階級)は対立している』、
つまり『経営者は労働者と敵対関係であり、搾取している』とネットの掲示板に多くの人が書いています。
主義を否定も肯定もしませんが、残念なことに現実的な日本の社会で会社員をする以上、
金銭面では『自分の働き未満の稼ぎ』しか得られません。
『働いたら負け』とか『社畜』なんて考え方をする人にとっては『情けは人の為ならず』という言葉が
ただの奇麗ごとに見えるかもしれません。
ただ、経営者視点で考えると『この人が抜けたら仕事に差し支える』と考えれば、
抜けられないようにお金を払います。それ以外手段がないのならば給与を見直すだけです。
認められるためには無駄とも思える膨大な努力が必要ですが、
『努力はしたくない』『給与の分しか働かない』という考え方の人を認められるかということになります。
サッカーチームを考えてもらうとわかりやすいですが、
『フィールド全体を走ってボールを取りに行く選手』
と
『自分の範囲しか動かないで来たボールしか対応しない選手』
を監督はどちらを必要としているかです。
『動かない選手しかいないチームVS取りに行く選手しかいないチーム』で試合をすれば
選手同士のレベルがほぼ互角ならばどちらが勝つかというそれだけの話です。
『自分の守備位置を完璧に守れて仕事は済ませられるから動く必要がない』という考え方は
個人としては合理的でも、チームとしては非合理的です。
何百人もいる大きなチームならば数人が休んでいても大した障害にならないかもしれませんが、
数十人しかいない小さなチームの場合にそれは致命的な話となるため、
それならば『動かない選手』は入れず『動く選手』を入れる。
小さなチームである弊社の求める人材は、結果後者になってしまうわけです。
『SESは奴隷』などという書き込みを見ると、
『大きい会社の場合はそういう視点になるのかな』なんて考えます。
弊社のような小さな会社にとって従業員は能力の多寡にかかわらず『仲間』で『戦力』です。
『認められなくても自分のことだけやればいい』という最近流行りの
『静かな退職』の方が『奴隷』のようで、おかしな矛盾を感じます。
『従業員』を『奴隷』として扱う感覚が理解できないあたりが中小企業の悲しさかもしれません。
もちろん『個人の活かされる努力』と『企業の活かそうとする努力』が
手を結ばないと結局『活かせない』という現実はあります。
それでも活かせる『会社員としての素養』を持った人が
弊社の扉をたたいてくれることを祈らずにはいられません。